ドラマ『六月のタイムマシン』が放送されるたびに、「この物語には原作があるの?」「小説や漫画が元になっているのでは?」という声がSNSでも多く見られます。
タイムトラベルという設定に繊細な心理描写。視聴者の心をつかむ展開は、原作があるドラマのように思えるのも無理はありません。
今回は、脚本家や制作背景の情報をもとに、『六月のタイムマシン』に原作が存在するのか、また脚本との関係性について徹底的に深掘りしていきます。
この記事を読むとわかること
- 『六月のタイムマシン』に原作はあるのか
- 脚本家・矢島弘一氏の創作意図
- 視聴者が感じる「原作っぽさ」の正体
- “六月”という季節に込められた物語性
『六月のタイムマシン』に原作は存在する?
視聴者からよくある質問のひとつ、「このドラマには原作があるのか?」という点をまず明らかにします。
結論から言えば、『六月のタイムマシン』に明確な原作は存在しません。
オリジナル脚本として制作された本作は、既存の小説や漫画を原作とせず、脚本家の矢島弘一さんによる完全オリジナルです。
視聴者が原作と誤認する理由
物語の深さや感情描写の丁寧さにより、「まるで文学作品のよう」と感じる人も多く、SNSでは「原作はどこで読めるの?」という投稿も。
これは、矢島氏の脚本の人物描写と構造設計の巧みさによるものであり、むしろ脚本の完成度が高いからこその“誤認”といえます。
類似テーマ作品との混同も影響?
また、タイムトラベルをテーマにした過去作品(例:『orange』『時をかける少女』)との記憶が混同し、既視感を覚えた視聴者が原作付きだと勘違いすることもあるようです。
“既にある物語”のような安心感も、矢島氏の脚本が生み出した魅力です。
脚本家・矢島弘一氏の独自性とは?
脚本を手がけた矢島弘一氏は、演劇畑出身の脚本家として知られ、これまでにも人間の心理に深く切り込む作品を多数手がけています。
本作もまた、その延長線上にあるものであり、原作を必要としない、「最初から映像化のために設計された物語」です。
インタビューから見える創作意図
放送前の脚本家インタビューでは、矢島氏は「6月という季節に起こる心のざわめき」をテーマに書き下ろしたと語っています。
「登場人物の心の揺れに、季節や時間の流れを重ねたかった」──矢島弘一(NHKインタビュー)
構成力の妙:演劇的な設計
三幕構成を基盤にした起承転結のリズム感、緻密な伏線、そして対話を通じて明かされる真実。
まさに「演劇的構造」を映像作品に落とし込んだスタイルであり、脚本家の創作力そのものが“原作”として機能しているのです。
なぜ“六月”なのか?──タイトルに込められた時間の詩学
“六月”という季節は、梅雨という曇天に覆われながらも、新しい季節への移行期に位置づけられています。
登場人物たちが抱える未熟さや迷い、誰かへの伝えられなかった想い──それらを象徴するのに最もふさわしい時期として、“六月”が選ばれたと考えられます。
実際、劇中では傘をさすシーンや水たまりの反射、雨音など、梅雨の湿度が心象風景と重ねられる演出が随所に見られます。
これはまさに、「時間」ではなく「季節そのもの」を物語の登場人物として機能させている演出と言えるでしょう。
インタビューから読み解く制作陣の哲学
矢島氏は「時間を旅する物語にするつもりはなかった」と語ります。それよりも、「もしあの時、別の言葉を選んでいたら──」という感情の分岐点を描きたかったと。
監督も「映像が情報を説明しすぎないように意識した」と述べており、視聴者が“想像で埋める余白”をあえて作った演出は、文学に近い表現アプローチといえるでしょう。
“原作なし”の価値──創作の自由と責任
原作があれば沿う義務が発生しますが、オリジナル作品であるからこそ、今この瞬間のリアルな揺らぎが描ける。
SNSでは「高校時代の自分が見ていたら泣いていた」「もう一度あの時間に戻りたい」といった声もあり、これは原作なしの脚本だからこそ生まれた共感です。
あなたの“六月”は、どんな色をしていましたか?
このドラマを観終えた後、不意に思い出すのは自分自身の“六月”です。
例えば、制服の袖を濡らしたあの雨の日。なんでもない放課後の帰り道、どうしても言えなかった一言──そんな記憶がふいに胸を突き刺してくるのです。
『六月のタイムマシン』には、「やり直したいこと」があるすべての人へのささやかな問いかけがあります。
時間は巻き戻せないけれど、心は過去に触れることができる──。
そんな希望とも、切なさとも言えない“余韻”が、視聴者の心に静かに残ります。
ドラマが描く「喪失」と「再接続」
登場人物たちは、別れや後悔を経て、“ほんとうに伝えたいこと”に辿りつこうとする。
それは、私たちが過去に置き去りにしてきた「本当の言葉」を、もう一度見つけ出す旅でもあります。
あなたの記憶にも“タイムマシン”がある
昔好きだった人。うまく言葉にできなかった想い。離れてしまった友達。
もう戻れない時間に対して、「それでも、伝えたい気持ちは残る」。
そんな、誰の胸にもきっとある“心の記憶装置”が静かに起動するのです。
作品がくれる“優しい傷跡”
このドラマを観終わったあと、何かが癒えたような気がして、でも少しだけ胸が苦しくて。
それでも、観てよかったと思える。
そんな優しい傷跡を残してくれる『六月のタイムマシン』は、間違いなく“観る価値のあるドラマ”です。
『六月のタイムマシン』原作と脚本にまつわるまとめ
- 『六月のタイムマシン』には明確な原作は存在しない
- 脚本家・矢島弘一氏による完全オリジナル作品
- 文学的な構成と演出が「原作らしさ」を感じさせている
- “六月”という季節を物語構造に溶け込ませた脚本演出
- 原作不要の今らしい青春物語として共感を呼んでいる
「原作を読んだような余韻」。その正体に触れた気がしました。
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